カテゴリー「10)プライベート」の記事

無事帰国しました。

14日現地朝8時15分発のJL708便は日本時間16時過ぎに無事に成田空港に着きました。機内が検査されるわけでもなく、調査票に座席番号の記入欄もなく、ちょっと拍子抜けではありますが、発熱なく、咳もなく、いつもとほぼ変わらぬ入国手続きでした。

でも、自分を含めて大多数の日本人がマスクをしていました。これは結構異様です。パスポートチェックのときだけマスクを下にずらしていました。

直接大学に戻り、仮称チーム中村の作業経過を確認し、そして帰宅すると、某学会からペットボトルの蓋が届いていました。ただただ嬉しい限りです。自宅でなくとも大学宛でいただければ本当にうれしい限りです。もしかして5000個も夢ではないかもしれません。

雨季のタイより、今日の首都圏のほうがずっと気候がよくて、日本に帰ってきてよかったという気持ちでいっぱいになりました。

大学の指示で、感染者のいる国、地域からの帰国者は10日間のマスク着用が義務付けられているので、明日から来週いっぱい、会議、ゼミ、講義はすべてマスク着用になります。花粉症の季節でさえマスクを使っていない自分がマスクをしっかり着用しています。

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親ばかではありますが

愛息が小学校の環境委員会副委員長になってはりきっています。ペットボトルのキャップを5000個集めるとワクチンができて、子供の命を一人救えるんだ、といってはりきっています。

学内のみなさん、よろしければ、ペットボトルのキャップ、ご不要でしたら、ご寄附をお願いします。土木棟301号室の大学院生おさだちえみさんが回収を快く引き受けてくれました。どうぞよろしくお願いします。

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束の間の家族旅行

ゴールデンウィークにどこか1泊温泉ドライブ、という思いつきとしか思えないリクエストに応えて、墓参りのついでの1泊2日旅行を敢行しました。個人的には1000円割引の高速道路の様子をみたかったのと、実家に近い温泉にいってみたかったことの2つが動機付けでした。

5月9日が実父の命日(もう13年になります)なので5月の墓参りは家族総出をめざし、今年はできました。実家に近くてそれなりの施設がある温泉のある宿泊施設として今回予約したのは熊谷市内になるけど、森林公園近くの大きなリゾートホテルです。高速道路は、往路は練馬から鶴ヶ島と鶴ヶ島から東松山、復路は東松山から練馬です。同時に東名川崎と東京(用賀)の間の東名高速も往復利用しました。

ホテルについて

今回のホテルは家族に不評でした(ので実名は伏せます)。バブル直後のリゾートマンションの造りなため、わが自宅のマンションの内外装と比べて見劣りがしてしまったのが敗因です。お金払ったら、我が家とは別の趣向か、同じ趣向なら高グレードを期待してしまうのですが、ちょっとしくじりました。僕自身も、別館と本館をつなぐ通路の一部に、たばこの自動販売機があるために屋根がとぎれているところがあり、あいにくの雨の中、非常に不便だったことはよくないと思いました。本館、別館、温泉の建物、設計した人の想いは非常によく伝わってくるだけに、たばこの自動販売機がそこにある理由が不可解でした。各階の通路や部屋のバルコニーなど、補修不足なところも多々あるようで、せっかくの立地と従業員のみなさんのしつけの良さを活かすべく、ハードウェアのほうの改善が望まれます。がんばってほしいものです。

高速道路について

往路は5日の午後、復路は6日の午前で、なんと渋滞0でした。復路はホテルから自宅まで2時間を切る快適さです。対向車線はあちこち混んでいたようで、時間帯を選べばなんとかなるということを確認できました。天気のせいもあるかもしれませんが、高速道路の本線は、例年より若干というところかもしれません。ただし、自動車利用が増えた結果、高速道路に接続する道路の混雑があちこちで悪化しているようにも思えました。VICSのデータがない道路でも然りで、結果として実証できないのかもしれませんが、この部分の社会的損失をどう評価するかは課題と思います。

昨年の広島旅行に比べて家族の評判が悪いので、名誉挽回は夏休みにかかっています。がんばりましょう。

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幸せをかみしめる1週間

こちらのブログに書いておきます。

この1週間、いろいろなことがあったのですが、こうして日記を書くにあたって振り返ってみると、ものすごく多くの人に愛されている自分に気づきます。思いすごしなのかもしれませんが、自分がそう感じることができるのが、きっと幸せなのだと思います。

目上の先生方がとても大事にしてくださるので、慣れないコース長&専攻長&部門長の要職もなんとか動いています。若い先生たちが、非常に的確に動いてくださるので、自分の負担をあまり感じずに済みます。

研究室にきてくれた4年生7人は、とても連携がよく、しかも勉強熱心です。3年生までの成績がすごくよいわけではなく、また学年自体、出来が悪いと言われてきたという刷り込みの反作用のようなもので、勉強しなくては、という気持ちがみんなの中にあります。大学院を考えている子たちが、揃って、復習用に、もう一度、僕の学部の講義の聴講をしています。こんなのはじめて。そういう子たちがかわいいもんだから、火曜、水曜と2日続けての歓迎会をしました。これもはじめて。研究室を選んだ動機として、僕らの存在をあげてくれた子たちもいて、そんなに慕われていたんだ、って思うと、これもとても嬉しい。

卒業生から連絡をもらい、昔の話をすると、どうも、僕は、自分が自覚しているよりもずっとずっとたくさんの子たちに慕っていただいているようで、嬉しく、また全然お返しできていない自分が恥ずかしくもあります。

水曜の午後は、永田町の都道府県会館で、都市バスのセミナー。研究会の委員長の僕は、冒頭のあいさつ、司会進行、質疑応答のファシリテーター、自分の発表、エンディングまでよく働きました。150人以上の方に来ていただき、大盛況です。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。そして、多くの方が、いちばん最後の僕のお話までいてくださいました。僕は、20年度の作業だけでなく、都市バスの研究への想い、道路経済研究所への感謝の気持ちを伝えるプレゼンをしました。たくさんの方が、お疲れにもかかわらず熱心に聞いてくださるのが、とても嬉しかった。質疑をするような話題ではないけれど、それでも、みなさんが聴いてくださるのが、僕のエネルギーになる。疲れて倒れそうになる僕を救うのは、気休めの時間でも息抜きの時間でもなく、まわりのみなさんの心であり笑顔であり、気持ちである、ということかもしれません。

木曜は1,2,4限と講義でしたが、どの講義も、全員ではないにせよ、みんな一生懸命講義をきいてくれ、質問もしてくれ、こちらの問いかけにも応えてくれ、授業がとっても楽しい。僕の講義は、何の技もない、技術もない、最近の大学の標準からすると、最低レベルなんですが、それでも楽しいし、何人もの子が楽しんでくれているようにみえる。それも嬉しい。そういう実感が、次の授業も、より盛り上げようという動機付けになる。同じ教材でも、気合いがどんどん高まっていく。熱い、のとはちょっと違うんだけど。

5限にチーム中村のつもりのワークショップをやったけど、みんな、いろんな意見を交わしている、そして、みんな、僕が講義などを通して、まちづくりについて考えてほしい、なんというのか、ベーシックなところはちゃんと弁えている。おこがましいけど、教育の効果のようなものを実感できて、これもとても嬉しい。

金曜は、午前中、建築学の飯田善彦先生のスタジオで10人の大学院生に都市交通の特別講義。羽沢のまちづくりのこと、クリチバ市のこと、自転車のこと、90分でお話ししました。建築の子たちが、都市交通に興味をもってくれるのはとても嬉しい。大御所の飯田先生を前に、都市デザインをやっている人が交通をわかってくれないのがもっかの悩みで、こうやって興味を持って下さるだけで感激です、と言いました。飯田先生はよくわかってくださりました。こうして、建築デザインのところとも仲良くなれるんだろうな、と思うと、そして声をかけてくださったことに、とても感謝しています。

午後は国際交通安全学会の学会賞の授賞式。僕は褒賞委員会の委員長で、選考過程について、経団連会館ホールにて、説明をしなくてはなりません。学会の会長や事務局のみなさんがとても気をつかってくださり、また受賞された方々も、とても喜んでいただき、幸せな気分です。「韓屋村」を韓国語で読めたのが嬉しかったです。

プライベートな時間の部分のことはここには書きませんが、それも含めてすべて、もしかしたら、物を見る角度をかえると、占いにあるように、イライラしたり、がっかりしたり、もあったのかもしれないけど、すべてのことが、優しく、そしてありがたく感じられる1週間でした。

恩返ししなきゃいけない人が増えるたびに、もう人生は終わり、って思うことができなくなるのですが、それもまたそれで、神様の思し召しでしょう。

大好きな曲のひとつ、スキマスイットの全力少年じゃないけど、全力先生で、走っていきます。日曜はライブだし。

僕は、みんなのおかげで生きている。そこにつきます。

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健太郎さん、インフルエンザに!! 予防接種の効かないA型だそうで。

健太郎さん、インフルエンザに!!
僕はひとりで幕張へ。このカエルさんは、かかりつけの小児科(望月松丸夫妻のご子息と同じところ)の待合室にいた、身長80cmはあるカエルさんでした。

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ゆとりの空間で家族3人でディナー

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健太郎さん完食。やったー。

ゆとりの空間は、恵比寿が本店の、あの栗原はるみさんプロデュースのレストランです。以前は嫌がっていた健太郎が今回は一緒に来てくれて、さらに我々と同種のセットメニューを注文し、そして全部たいらげてくれました。

こういう素敵な、そしてきちんと食を、生活を、文化を考えてくれるお店があるということもまちづくりではとても大切だと思っています。なぜかニュータウンにはファミレスばっかりで、ものすごくパターン化された生活像を押しつけられているように思ってしまいます。東京にはどうやっても敵わない、ではまずいのではないか、という気持ちになりました。夜、車を飛ばしてでも恵比寿までいって栗原はるみさんの晩ごはんを食べる、ここまでの魅力がある店が、何軒かでいいからあれば、なんですが。

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私事、無事遂行

今日は、日吉のライブハウスで2曲歌わせていただきました(詳細のご関心のある方は隠れ家へどうぞ)。よく知っている日吉の街で、全然異次元の過ごし方をしました。自分のやっていることが文化というのはちょっとおこがましいけれど、音楽なり美術なりというのが、まちづくりにつながっていることを、もっと認識するべきだと再確認しました。それにしても、足ががくがくしていました(?)。

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合宿余興その3 研究室Tシャツ作成

研究室Tシャツ作成

となりの研究室の合宿の様子が、その先生のブログに載っていて、ものすごくまじめでかつ有意義な旅行にお見受けする中、僕のブログの一連の記事だけみていると、大丈夫かな、と自分でも心配になります。でも、在学生もOBOGも、馬鹿話も、人生談も、研究の話も、恋愛の話も、そして国際的な話題も、いろいろ展開していて、僕らなりには、とても有意義だったと思っています。

で、今年は、あさみちゃんががんばって研究室Tシャツを作成しました。背中側にとある都市のバスシステム概念図のようなものが絵柄に載っていますが、ブログには掲載しません。ちなみに写真の右端が僕です。

研究室は、部活でもなく、サークルでもないけど、それでもこうやっていろいろできて、楽しく過ごせて、それが実りある方向に展開するのであれば、それでいいと思います。心身とも健康なこと、これに尽きます。

みちがえるほど元気になっている子も、新たな悩みをかかえている子も、いろいろいましたが、このわずかな時間を共有する中で、少しでも何かを得て、次のステップに進んでいってくれればと願っています。

今回、僕は研究指導はほとんどしませんでした(あいさつだけした)けど、みなさん、お疲れ様でした。

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合宿余興2 私の焼きそば

私の焼きそば

毎年合宿2日目の土曜の夜はバーベキューです。禅寺の境内ですが、そういうことは気にせず、お酒も入り、ハイテンションなところで、ちかちゃんが後輩に向かって、「私の焼きそばー」と命令していて、そのシーンがおかしかったので、じゃあ、「私の焼きそば」をつくろうということにしました。写真のようにソースで名前を書きましたが、なかなか迫力です。こんな馬鹿なことをしてしまうのも、年に一度のこの夜だけです。これ以外に、白壁沿いに走るシルエットの動画撮影など、馬鹿なこと、でも迷惑をかけないこと、をたくさんしたような気がします。

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合宿余興1 チョコパー

チョコパー

少しでも早く合宿に合流しようと、土曜はがんばって運転して、午後3時半に禅寺についたのですが、ゼミは終わり、スポーツ班、下田観光班にわかれての行動ということで、寺では留守番役の学生が一人、という状況でした。しかたないので、読書をはじめるものの飽きてしまい、温泉につかるも、それでももてあましていたところに、実は、先の2つの班以外に、前日夜の疲れのために休息している1名、そして施設内温泉の岩盤浴に3時間はいりっぱなしの女子2名がいたことが判明しました。その女子2名が、暇そうにしている僕に気を遣ってくれ、湯上りの3人で、お茶ドライブです。車で5分ほどの山間にあるコーヒーショップでチョコレートパフェを食べました。これが絶品で、ちょっと斜めだった機嫌はなおりました。学生さんに気を遣わせるようでは、教授としては全然だめですね。まいこちゃん、ちえちゃん、ごめんね。

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広島へ

広島へ

5月2日夜から2泊3日で、一時帰宅中の家内と息子と3人で広島旅行に挑戦しました。宮島も原爆ドームも、もちろん広電も、おまけに空港脇の三景園も、家族全員、大満足でした。

こうやって飛行機で家族全員で大旅行できる日が、ようやく迎えられたことに感謝するとともに、いつもの雨男を返上して、快晴の天気に恵まれたことにも感謝です。

でも暑すぎた(29度)のと、フラワーフェスティバル(平和大通り界隈に動員62万人)で、電車や原爆ドーム付近が大混雑なのが、ちょっと予定外でした。以下、ちょっと仕事。

はじめて広電市内線に乗った妻子の印象は、広島駅から紙屋町までの「遅さ」でした。そのあとの「速さ」にも感銘を受けていたのですが、「遅さ」は、殊の外だったようです。すし詰めの電車で、ようやくドアが閉まって車掌さんの合図がなるタイミングで、前方の信号が黄色になり、結局1サイクル待つというのを、ほぼ各駅で繰り返していました(単純に比較してはいけないけど、3週間前のミュンヘンでは、そういう類の信号待ちは体験しませんでした。混雑時ででもです)。なんとかせねば、と思ってたら、息子からも、「パパなんとかしなよ」と言われ、ついつい約束してしまったので、今、バスを題材に勉強しはじめている、優先信号制御と乗降管理の連動のちょっとした勉強を路面電車にも拡大して、我々の研究室らしい成果を出していこうと決めました。問題は、学生さんたちの関心があまりこっちにむいてくれないことですが、それはきっと変わっていくでしょう。

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初日の出

初日の出@都筑山田富士

新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いします。写真は自宅バルコニーからみえる初日の出です。

年末は仕事用ノートPCの更新と自宅用PCの7年ぶりの更新で大忙しでした。そんな中、大晦日には、息子のリクエストで、僕もはじめてだったのですが、除夜の鐘を打ちにいきました。港北ニュータウン内の正覚寺で打たせてもらえると知り(インターネットで)、紅白歌合戦が終わってからかけつけましたが、すでに行列。待つこと40分で、なんとかつくことができました。が、どうも息子はつく前に縄から手を離し、つけなかった、とビービーいうので、再度行列に並び、さらに30分、午前1時半前にようやく思いを果たしました。

ニュータウン内の寺ですが、斜面地形を活かした立派な境内があり、鐘楼もなかなかの風格です。ニュータウンの計画というのは、今後の日本では新しいものはないでしょうが、一方で、アジアをはじめ多くの途上国大都市ではニュータウン計画が増えていきます。日本の経験がどう活かされていくのかが課題です。お寺や墓地といった宗教的要素やハレの日への対応などを計画にきちんと盛り込めるかどうかも課題のひとつと思います。港北ニュータウンを計画した先達たちが、この除夜の鐘のことまで考えていてくれたのだとしたら、とてもすごいなと思いました。まちづくりの多面性、多様性が、研究でも実務でも、もっと深く考慮されていくように、僕もがんばろうと思います。

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静かな週末があけて

週末は静かに過ごしました。2つの理由があります。

1つめは、金曜午後より大学のわれわれのメールサーバーがストップしたこと。正確には、大学外とのやりとりができなくなったことによります。学外からのメールは一切届かず、学外へは一切メールを送れず、ホームページもみれず、学外から学内にアクセスできず。これは静かなものです。諸事情により当面この状態が続きます(学内にいると学内間でメールは機能しています)。

本記事をお読みの方で、私にメールを送ろうとされる、された方へ。nakamura☆-fumi☆@nifty☆.comから3つの☆を除いたアドレスが僕のアドレスですので、当面はこちらにお送り下さい。ご不便をおかけしますことを深くお詫び申し上げます。

そしてもうひとつ。

土曜の朝、高熱を発した息子を小児科へ。インフルエンザと判明。隔離室で処方と会計を済まし、帰宅。午前の習い事も、夜のピアノの発表会も、日曜の墓参りもすべてキャンセル(ピアノは練習不足が露呈せずに済んだので少しホッとした面もあります)。タミフルは断って、別の吸引薬の処方で、息子の熱は日曜には微熱、同夜には平熱に。息子が静かに寝ている週末は、これまた静かなものです(でもちょっとさみしい)。

すばやい回復の様子をみて、もともと丈夫な子なのでと喜ぶ一方で、感染の原因は、ここ何日か、僕の帰りを寝ぼけ眼ながら待っているうちに寝不足&過労になったことも一因かと思うと胸が詰まります。今週は早寝をしてもらいます。ごめんね、健ちゃん。

あとは自分がインフルエンザを発症しないことを祈るばかりです。疲れをためないよう、明日はグリーン車にでも乗ろう、そして今日は早く寝よう。

ちなみに、月曜は朝は公共事業再評価の委員会、夜は日本交通政策研究会の勉強会でした。夕方に某業界新聞の新春号の取材が写真つきでありました。これはでてのお楽しみ。

朝は小林先生の厳しい一面をみさせていただき、勉強になりました。人にわかってもらう資料づくり、自治体の方々、今回はまちづくりの方の方々のご努力に期待します。そして費用便益分析の問題、今回もいろいろとわかってきました。道路のほうは市の担当の人がとても一生懸命動いて下さったので、スムーズにすすみましたが、問題の根源は、評価とは、というところにあると思います。慢心せず勉強していこうと僕も思いました。

夜の勉強会は、ネタとしては、当方の学生2名と名古屋大学の学生1名の発表ですが、それらを肴にいろいろな議論ができ、これもとても勉強になりました。運輸事業者の経営が一般企業の経営とどのように同じでどのように異なっているのか、この事実は、世の中の規制緩和論さえひっくり返すかもしれない面がある、というところまでは議論しませんでしたが、そういう文脈でのやりとりは、実はとても刺激的でした。高速バスとはなんぞや、定時性とはなんぞや、というところも実に深いものがあって、考えさせられました。こういう議論ができるのも、学生さんたちががんばってくれるからです。厳しいことをいつもいっているかもしれないけど、実のところ、感謝です。

どちらかというと行き当たりばったりなところもありますが、研究室の学生さんたちには、できるだけ刺激的なおいしい空気をたくさん吸ってもらって、成長してくれればと思います。公平性を考えると、全員一緒に、ということになりますが、現在の規模で、それをするよりは、テーマや関心も広いので、いろいろな機会を提供していく中で、自発的に参加してくれる体制を続けていこうと思います。

先週は、わが故郷の東大の都市工学科の都市交通研究室での勉強会に有志学生5名が参加しました(こういう自主性は実はすごいと思います)。懇親会には、あの羽藤英二先生も合流して、原田先生、羽藤先生、高見君を交えての大盛り上がり(シラフの羽藤君のテンションが高すぎただけか?)でした。詳細は書きませんが、考えるところも多々ある会でした。

でも、僕は、自分のやっていること、やっていくべきことを、改めて確認させていただいたような気もしました。次の10年(寿命があればですが)のデザインを少しずつ動かしていきます。

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大失態 いつかやってしまうと思っていたら

よくないとわかりつつ、外のお仕事の会議中の居眠りは、どうしてもしてしまうときがあります。いつもすいません。でも、必要なときにきちんと目が覚める自信がありました。あのK先生を見習って、自分もそうできる、と思っていました。が、

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値ごろ感

これが199本目の記事です。あっという間ですね。

アクセス件数は一時期より減ってきました。1日200件程度です。ちょっと驕っているのかもしれないけど、もしかして、日本のあちこちに、読んでくれるといいなあという人たちがいるのかもしれないと思っています。だから、一生懸命書き続けます。件数増加が目的ではなく、自分のためにはじめたこのブログで、少しでも世の中のお役に立つのなら、ということです。

何回か前のブログで、醤油味焼団子4個刺しの値段を尋ねました。正解は50円です。団子4個で50円です。埼玉県日高市武蔵台の物価です。多くの方は、100から200円を想定されたのではないでしょうか?

いろいろな財やサービスにきっと値ごろ感があると思います。だから、タクシーは高いとか、理髪料が高いとか、学費が高いとか、家賃が高いとか、いろいろと感じるのでしょう。バスの運賃はどうでしょうか?きっと高いと思う人のほうが多いのだろうと思います。その実感はどこから来るんでしょう。それぞれの人のある種の価値観でしょうか?日常生活でのお金の使い方から来る経験値でしょうか?

アンケートをとるときっと平均値としての値ごろ感の値が求まるでしょう。でも、それは、多様な経験や価値観を平均したもので、その値自体に論理的な意味合いがあるとは思えません。団子50円のお店では、全体的に、東京や横浜よりも安い値段が設定されています。あのショッピング「モール」に慣れている人たちの実感と、そうでない人たちの実感でさえ、隔たりは多いです。それらの方々の平均値をとっても、実感を代表しているとは言いにくいと思います。

この話を突き詰めていくと、こんがらがってきますが、運賃の問題には、そういう側面があるということをいいたかっただけです。

ですが、もっと直感的に大切なことがあります。以上の議論は財あるいはサービスが与件で、運賃はいくらが適正かという問題設定ですが、逆にしてみましょう。210円払ったバスが、どうだったら満足するでしょう?ここにいくつもの答えが隠されていると思います。座れたら、自転車より早く走ってくれたら、からはじまって、ガイドさんが矢田亜希子さんだったら、とか、運転士が滝沢秀明さんだったら、とか、さまざまでしょう。で、今のバスは、それができていないし、バス会社はなにかしようとも思わないし、配慮もしないし、そこに何かが欠けているように感じます。

コミュニティバスと呼ばれるカテゴリーのバスには、無料のもの、100円のもの、在来バスと運賃をそろえているもの、いろいろあります。どれも正しくて、どれも問題ありです。関連する人たちが納得さえしてくれれば、もう一歩進むのですが、納得するには、どういう論理付けをすればよいのか、ここの詰めが甘いことが問題だろうと思います。

難しい話を直感的に記述したので、わかりにくかったかと思いますが、いつものように、考えるヒントが満載ですので、そういうことで、勘弁しておいてください。

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結婚おめでとう

結婚おめでとう

3月に続いて研究室の教え子同士の結婚式にご招待いただきました。軽井沢は風爽やかに晴れ渡り、新郎新婦の暖かい心遣い溢れる素敵な式典でした。今回も唄うことになってしまいましたが、何とかこなさせていただきました。お二人さん、末永くお幸せに〓

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啓明君と未和さん、おめでとう

21日は、元教え子の望月啓明君と松丸未和さんの結婚式と披露宴に招待され、出席してきました。センター南駅の結婚式場は、建設当時から気になっていた建物で、でも行く機会もなく、と思っていたら、今回は、そこでの挙式ということで、ずっと前からわくわくしていました。思っていたとおり素敵な式場でした。大きければいいとか、ホテルの式場がよいとか、そんな固定観念はもう全く不要なんですね。

とりわけ披露宴は、とてもすばらしいものでした。自分のはさておき、親族、友人そして教え子の披露宴というのは、数えたことないけど、数多く参加させていただき、どれも感動に残るものではありますが、今日のはとりわけよかったです。教え子同士というのは今回が初めてで、また5月にもそういうのがあるようですが、そんなにしょっちゅうあるわけではありません。披露宴は3時間を越えるものでしたが、時間がすぎるのがあっという間でした(僕のとなりで阿久津奈緒ちゃん(さん)が、僕にとっても気を遣ってくださったのもひとつにはあります)。

しかしながら、こういう感想をもてたのは、自分の出番が済んでからのことであり、自分の出番までは、そんな風に考える余裕は全くありませんでした。ピアノを弾き語りで歌うのは、恥知らずな僕としては、決して嫌な仕事ではないのですが、見ず知らずの人(中には、別の業務でご一緒した人やご両名のご両親もいらっしゃるし、同期の他研究室メンバーも少なからずいるし)たち90名弱の前で、しかもトリで、というのは、ちょっと想定外でした。

唄は、小田和正の「たしかなこと」という明治安田生命のCMでかかっているやつで、ピアノだけでフルコーラスやらせていただきました(当然ながら人前でやるのははじめての曲です。あまりにあがっていて、会場では曲の紹介を全くしませんでした)。

 参考までにこの曲は、明治安田生命のCMの曲です。CMの動画配信はこちらから

 http://www.meijiyasuda.co.jp/profile/event/cm_photo02/sec60/

恩師が歌うというだけで、会場がおどろき(普通、恩師は主賓か乾杯)、さらにピアノの前に座ったら、会場全体凍りつき、あー、どうしよう、妻子が今朝がたいっていたように、唄なしにしておけばよかった、などと頭の中はグルグルです。でも、いい唄だから、絶対に歌詞を間違えたらいけないし、伴奏も目立つ間違いはしてはいけない、となんだか、全く余裕なく必死になって、歌わせていただきました。

こういうお席ですので、面前でけなすかたはいらっしゃらなかったですが、どんな風に聞こえたんでしょうか?僕自身はそうはいいながら、歌いながら、うん、やっぱりいい唄だと思っていました(これが恥知らずを自称する所以)。披露宴がお開きになってからお見送りのところで、未和さんもいっていたけど、歌いながら、研究室のことや大蔵先生のことも思い出してしまいました。で、歌い終えてから、たくさんの拍手をいただき、恥ずかしかったけど、実はとても嬉しかったというのが正直な気持ちです。

まあ、それはともかく、啓明君そして未和さん、どんなときもきっとそばにいる、そういう気持ちで、これからの人生を育んでいって下さいね。

研究室同期との写真です(阿久津さん、渡辺君、須々木君、松田君と新郎新婦と僕)

「moti0603.ppt」をダウンロード

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年賀状の御礼

 正月明けに大学に出勤して2日、今年もたくさんの年賀状をいただきました。喪中なのでそもそも年賀状でお返事を書くことが無理ですし、実に、大学宛に届いた年賀状には、これまでも返事をきちんとしておりませんでした。出してくださった方々が、このブログをお読みになっている可能性は低いのかもしれませんが、この場を借りて御礼申し上げます。

 業務上の挨拶を一言添えてくださった方、近況の報告をしてくださった方、素敵な写真を添えてくださった方、本当にありがとうございました。

 教授になって1年と少したちましたが、研究テーマの特殊性から、政府や地方自治体の方にも大変よくしていただき、またシンクタンクやコンサルタントの方々にもいろいろとお世話になった1年間でした。まだまだ勉強途上の身ですし、研究者としても一人前というほどではないし、今年もたくさん勉強させていただければと思うばかりです。本年もどうぞよろしくお願いします。

 今年の目標は先の回に書きましたので、今回は挨拶かわりに、先回書き足りていなかった部分の追加の意味をこめて。

 僕の父は1996年に、孫の顔をみる(1998年誕生)前に他界したのですが、その死の少し前くらいから、何度か、研究をしているか、と僕に質問をしてきました。どこどこ駅の計画をお手伝いしたとか、どこどこ市の都市計画のお手伝いをした、といっても、そうではなくて研究はどうなんだ、と尋ねてきました。きっと僕の話は、研ぎ究めるというフレーバーがしなかったんだろうと当時も思ったし、今でもそう思います。行政やコンサルの方から教わることは多く、学ぶ日々ではありますが、僕は、それを糧に研ぎ究めることをしなくてはならないのだろうと思っています。吸収する場面、それを消化する場面、そしてそれを外に出していく場面、3つのバランスという点からすると、昨年は、少し消化不良だったのかもしれません。学生さんたちは、ひたすら吸収と消化にまずは専念し、卒論、修士論文、博士論文あるいはそれに向けた審査論文の執筆というかたちで成果を吐き出していただければと思っています。父の誕生日(生きていれば72歳)を息子と二人で迎えて、なんか、そんなことを考えました。

追伸1

学生さんたちへ。

みんな、吸収と消化、していますか? 吸収も消化も不十分なのに、プレゼンテーションだけがんばるのはだめですよ。いい吸収をして、いい消化をしているかどうかが、僕の評価基準であって、いいプレゼンなんていうのは、きついかもしれないけど、当たり前です。練習し経験すれば絶対にうまくなるのだから。僕だって、博士1年くらいまでは、プレゼンはうまくないし、質疑応答なんかいつもボロボロでした(答えられない自分にかわってあの森地先生が、指導教官でもないのに、みるにみかねて助けてくれたなんてこともM2のときの土木学会全国大会でありました)。それでもなんとかなっているのだから、プレゼンに関しては、実は心配していません。むしろ吸収と消化ですからね。

追伸2

 卒業生のみなさんへ。

研究室で勉強したこととは直接関係のない世界でがんばっている人たちが多いのですが、長い人生、何がどこでどうなるか全くもってわかりませんから、現実を受け止め、それをいかに未来につなげるか、そして遠回りにみえる道は、見える景色が多い分だけ元をとるような気構えで、一度や二度、あるいは三度や四度くじけても、僕と一緒に勉強したときのみなさんのがんばり、そして強さを信じて、今年1年を送ってください。研究職に近いところにいるみなさんは当然、そしてそうでない人たちもぜひ、消化した成果を原稿にまとめてください。もちろん、みなさんの上司の説得を含め応援はいくらでもします。社会人博士への進学も大歓迎です。いつでも相談にどうぞ。授業料減額作戦もありそうです。

 プライベートには、僕は、家内の病状のことで、昨年1年くじけそうになりながらなんとか過ごしてきました。この辛い日々は、実にまだまだ続きそうです。在籍の学生さんはじめ多くの人に助けていただきながら、なんとか乗り切っていますが、正直にいえば、不安でいっぱいです。でも絶対にめげません(年末に大掃除していて、息子に、パパはあきらめないでがんばる人だよねとほめ言葉を言われて、思わずウルッときてしまいました)。年頭に書いたように健康に気をつけながら(今井先生のことの後、多くの人にそういわれますが、大丈夫です。睡眠はとっているし、栄養のバランスもとっていますし、ストレスは発散していますし、最近体も少しずつ動かしています)、くじけることなく、できることを、すべきことを、きちんとやっていきます。決してみなさんの手本になるような生き方ではないかもしれないけど、研究者として、人間として、前向きに生きているところをみていただければと思います。これからもどうぞよろしく

以下趣味の独り言

やっぱ、この歌だね。

 いまだからできること、それを決して忘れないで

付け加えるとすれば、これかな。

 力の続く限りどこまでも連れてゆくから

 これだけは忘れないで いちばん大切なものを

さらにいうなら、ちょっとマイナーなやつだけど。

 走り続けていても歩いていても

 空を見上げてため息つくもそれぞれの人生

 でもこれだけはいつも忘れないで

 夢を追いかける人のために時は待ってる

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昨年最後のかなしい知らせ

 昨年末、正確にいえば昨日の12月31日にわが土木工学教室の今井五郎先生が急逝されました。肺がんとのことです。告別式が1月7日ということです。

 僕は土木工学出身(学会の区分でも土木ですけど、学歴上は都市工学)ではないので、地盤、構造、水理、材料といった分野については、横浜に来るまで、まったくの無知でした。横浜にきてから、毎年、卒業研究や修士研究の発表をきかせていただいて、ちょっとだけ理解できるようになった程度です。さらにいえば、それらの分野の大先生たちについても無知でした。

 横浜国立大学で助教授として採用されるにあたり面接試験がありました。今井先生と出会ったのはその場が最初でした。とても厳しそうな先生というのが第一印象です。しかしながら、僕の拙いプレゼンをきちんときいていただき、的確に質問をしていただいたこともよく覚えています。その後もこの印象はかわっていません。

 もともと甘えん坊体質の抜けない僕は、教務委員のようないわゆる激務の中で難しい判断をせざるを得ないときには、他の先生のご意見をあらかじめ伺うということをよくしていました。今井先生のお部屋にも何度もお邪魔し、そのつど、いろいろなご意見をいただけました。バスはよみがえるという本を上梓した際も、大蔵先生の次に、今井先生にお届けして、こういうテーマは重要なのだからがんばりなさいといわれたことを覚えています。もっと昔ですが、NHKラジオに出演した後、先生はご趣味の木工をされている際にラジオを聴かれたようで、別の機会に、ああいうのは売名行為だけど、いいねえ、というコメントをいただきました。年は20弱しか離れていませんでしたが、父のいない僕からすると、大学の中での父親的な存在の一人でした。その後の人事の件でも、ちょっとしたトラブルの際にも、今井先生には、たくさん助けていただきました。最近でもこういう本を学生に読ませたいのだけどどうでしょうか、というような相談をさせていただきました。

 横浜国大にきたとき、僕は32歳の最年少助教授で、他の10人は、合田先生からはじまり、最初に述べたようにその専門分野でのすごさは当時は全然知りませんでしたが、個性的なすごい先生たちばかりでした。今井先生の存在はその中でも独特で、(大蔵先生が生前おっしゃっていましたが、以前はもっと強烈だったそうです)、我々のまとまりのバランスをとっていただいている重要なポジションにいらっしゃったと思います。行事への参加も積極的で、過去3回行った職員バス旅行も皆勤でいらっしゃいました。

 11月頃から体調を崩されていて、その頃、上記の学生向けの本の相談の件でお話したのが、個人的には最後になってしまいました。それにしてもあっという間のことで、そして突然のことで、言葉が続きません。

 横浜にきてから、現職の先生とこのようなかたちでお別れするのはもう4回目になります。そしてそのうちの3回が土木工学教室のお世話になった先生、しかも3人とも、土木工学棟の2階にいらっしゃった先生ということで、同じ2階の住人だった僕としては、とてもショックです。

 先生の残された教え、特にエンジニアとしてのものの考え方、生き方、どれだけ受け継いでいけるのか甚だ自信がありませんが、がんばっていこうと思います。

 今井先生、本当にありがとうございました。安らかにおやすみください。

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そして2年が過ぎて

 12月16日に研究室の忘年会をしました。2次会には10人以上のOBOGがいらっしゃいました。近々結婚するという人たちも何人かいて、とてもおめでたい、そして、いつものように、暖かな雰囲気の会でした。

 会の挨拶では触れませんでしたが、今日は、大蔵先生のご命日です。三回忌にあたります。研究室は、いつも学生がどんどんいれかわり、新しい先生にも来ていただき、一箇所にとどまることなく変化をし続けているのですが、大蔵先生が築かれた研究室の雰囲気は、しっかり守られていると常々実感しています。

 大蔵先生が、私たちを空高いところから暖かく見守っていただいていることを実感して、これからもがんばっていこうと思います。

 忘年会に出席してくれたみなさん(きっとまだ飲んでいるんだろうけど)、そして出席しようと思ってはいたけど来ることのできなかったみなさん、僕らは、大蔵先生と出会えて、そしていろいろなことを教わることができて、本当に幸せだということを思い出してください。そしてその気持ちを、後進のひとたちにも伝えていきましょう。

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宮崎での計画学秋大会

 長崎から戻った翌日は、午前の講義、午後のゼミを経て、夕方の飛行機で宮崎に向かいました。わけあって息子同伴の二人旅でしたが、はじめて空弁を体験しました。息子は好物の鳥から揚げを完食し、おまけで買った崎陽軒のシュウマイ(真空パックでないものを、羽田空港の出発ロビーで購入するのはきわめて困難でした)も6分の5をたいらげ、ご満悦でした(給食もその勢いでいつも食べてくれていれば)。

 宮崎では土木学会の土木計画学小委員会が主催している土木計画学研究発表会の秋大会に出席するため宮崎大学に行きました。今回は、研究室は総勢で18名という大所帯でした。大蔵・中村研の活動当初は、学部生の卒論を修士1年のときに全国大会で、修士1年次の成果を修士2年のときに計画学の秋大会で、と決めていました。完成した修士論文は、さらに別の機会にということも考えていました。現在助手をしている矢部君が学生の頃がいちばん、この方式が機能していました。

 関係の方がお読みになると叱られるとは思いますが、事実なので述べますと、全国大会に比べ、計画学の秋大会のほうが、議論を十分にしていただけるので、ある時から、卒論も秋大会で発表する方針に転換しました。今回でいえば、修士1年7人のうち外部の2人と、すでに交通工学研究発表会で発表した1人と、同発表会に応募したけど当選しなかった1人を除く3人が、修士2年の2人とともに宮崎で発表しました。学生さんは、みなさん一生懸命発表し、さまざまな質疑もなんとか乗り越えていたようです(僕は諸事情で、全員の発表を確認したわけではないので、聞き伝えの部分もありますが)。

 で、僕もいくつかのセッションに出て、思ったことをいくつか書いておきます。愛媛大学の朝倉先生がときどきおっしゃるのを耳にしますが、よい質問がなされて会場が盛り上がる可能性は、やっぱり高くて、そういう場に居合わせると勉強になるなと実感します。その意味では、コメンテーターは、質問を厳選し、時間を最小限にするべきでしょう。僕も、話し出すと長いほうなのですが、これだけは今回がんばってみました。しかし、そうでもないコメンテーターも何名かいらっしゃったようで、非常に残念でした。コメンテーターがでしゃばりすぎるのは、やはりよくないとこの数年来思っていますが、今回もそう思いました。その一方で、司会の先生が、適宜タイミングを見計らって議論の方向を誘導しているセッションがあり、これは、非常に盛り上がりました。「若手のつもりの」僕などはまだまだ司会の大役などできませんが、司会の先生は、少なくとも僕がみたほぼすべてのセッションにおいて、議論を盛り上げる工夫をされており、感銘を受けました。

 最後に参加したセッションは、司会の先生もコメンテーターの先生も、フロアで議論された質問内容もすべてよかったのですが、僕は、何かいまひとつ物足りなく感じてしまいました。都市の計画において今議論すべきことが何なのかということを考えてしまって、複雑な気分になりました。3つの研究はそれぞれ学術的に高い価値があるというのは、論文査読や編集に多々かかわってきた身からするとよくわかるのですが、うまくいえませんが、もしかして僕の勉強不足なだけかもしれませんが、少なくともすすんで質問しようという気持ちにはなれませんでした。このことはしばらく考えてみようと思います。関連の方、お読みになっていたらごめんなさい。そもそも僕は都市構造という日本語が苦手なのかもしれません。

 息子は大学の農学部農場にすっかりお世話になり、芋ほりや蜜柑狩りを堪能したようです。何人もの先生にご心配をいただきましたが、僕の段取りが悪いだけのことで、なんとかなっていますことをこの場でご報告するとともに、御礼かつお詫び申し上げます。

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はじめまして

横浜国立大学大学院環境情報研究院の中村文彦です。うまれてはじめてのブログです。研究室のHPに不定期で連載していたエッセーコーナーをこちらに移管する予定です。教え子のみなさんからのレスポンスがしやすくなる反面、いろいろと危険も感じますが、当面は試行ということにします。どうぞよろしくお願いします。

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