ムンパへ
大学時代、子供会というサークル活動をしていました。セツルメント運動の一環で、そこから分派してできた組織ですが、週末に子供たちと遊んだり話したりする中で、いろいろなことを考えるちょっと変わった活動をしていました。サークルに入ったころは70kgくらいだった体重は、毎週のハードな活動の結果、60kg近くまで減り、それは楽しい毎日でした。都市工学を学ぶことをめざして大学に入り、その思いはそのままにしながら、教育っておもしろいなと思い始めたのもその頃です。歴史的な経緯もあって法学部系の学生が多いサークルの中で、理系は異色でした。東大以外の大学も多く、いろいろな人たちと交流する中で自分を客観視することもできるようになりました。
そのサークルで一学年下にいた男性(子供会でのあだ名はムーミンパパ。略してムンパ)の訃報をいただきました。それも半年近く前に突然の病での他界ということを聞いて、ただただ唖然としています。
とても穏やかな性格で、いつもにこにこしていて、でも実は家庭では苦労をしていて、僕は彼を車で送るついでに彼の家に何度かお邪魔して、お父様もお母様も弟さんも今でも覚えていて、とても温かい家族で。サークルの会合では、コーヒーにこれでもかというくらいミルクを加えていて、お酒は決して強くないけどいつも楽しくて。
法学部だったけど司法の世界にはいかないで生命保険会社に入り、そのおかげで、小田和正のソロの最初のコンサートのチケットを譲っていただいたこともあり、そういう点でも、とてもお世話好きで、誰からも愛される存在でした。
いつも羨ましかった。
クリスマス会を子供会でやったとき、独自の発想で、真白なサンタクロースを演じて、多くの子供たちを欺きとおした(だれがサンタかばれずに済んだ)。僕が作曲した、とても短いコーラスの唄(思えば、当時からそんなことやっていた)もちゃんと唄ってくれていた。
同世代がみんな社会人になってから、それでもつながりをつくろうと、メーリングリストを作成してくれて、それのおかげで、電子メールでみんなとつながるようになり、花見などの集まりもできるようにしてくれた。何度も新宿御苑で遊んだ。健太郎も家内もムンパが大好きだった。
調べてみると、彼は、僕等に対する以外にもいろいろな顔をもっていて、そのどこにおいても同じように面倒見よく、明るくという人物だった。
ねえ、何でそんなにすぐ天国にいってしまったんだろう。魅力的な人ほど早く神に召されていくのかな。もっともっとずっとずっと長い付き合いをしていけると思っていたのに。そして僕等はなぜ気づかなかったのだろう。便りがないのが良い知らせ、なんていうのは、時として真っ赤な嘘だね。
もう、こうやって同世代の仲間との別れを受け止めなくてはならない年齢になったということだとしても、そういうことに馴れたくはない。生きていてほしいし生きていたい。
健康に対しては最大限努力し、それを超えるところでは運命を甘んじて受けることにする、って今年決めたけど、それを再度確認したよ。ムンパ、みてて、僕は走り抜けるから。
ムンパ、たくさんのやさしさ、本当にありがとう。おやすみなさい。
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